2025/01/01
日記
あけましておめでとうございます。
今日はゲーム「未解決事件は終わらせないといけないから」をプレイして、クリアした。記憶に問題を抱える語り手が、警察の格好をした対話相手に誘われ、過去に語り手も警察の人間として関わった未解決事件「犀花ちゃん行方不明事件」の解決に向けて記憶を整理していくというのがおおまかなあらすじで、ゲームシステム(というかこれはUIの話かな。あんまりゲームに詳しくないけど「ゲームシステム」と言うときってどういう種類のものを指すのだろう)としては、各登場人物ごとに用意されているカラムに出現する聴取の記録を、適切な時系列のもとで適切な発言者のカラムに移動させて記憶を整理し、事件の真相を探っていくという形式。実際にプレイをして、あーでもないこーでもないとやりながらガチャガチャ発言を配置し、散逸していた記憶が結びつき、ぼんやりと形をなしていくさまはけっこう感動的だし達成感がある。わたしは短期記憶が貧弱なのでやっててたびたび困る場面があり、それゆえクリア時の達成感はかなり大きかった(PCでやったらもうちょっと高い解像度とデカいモニターによって画面内にいっぱい表示されて楽だったりするんだろうか……Switchでやったけどスクロールとかちょっと面倒だった、しかし記録を整理していくという営為は実際往々にして困難を極めるものではあり……)。 もちろんこうしたゲーム的な快感や達成感だけでなく、ゲーム全体を通じたシナリオや体験も感動的だ。パズルのように、ただしときにはおもわぬ方向からも結びついていく記憶たちは悲しい事件の真相を浮かび上がらせ、そもそも作中のとある人物もまた、とある符合によって突き動かされたしまったのだが、しかし本作をフィナーレに導くものまた、こうして結び付ついてしまった人々だ。楽観的というか、単にわたしの願望なんだろうけど、それでもなお、誰かが信念のもとでやるべきと思ったことをなし、そして誰かが誰かを思いやっているのだという話が好き。
ふと思い出してBlueskyの自分の投稿を遡ってみたら、「まったく自分の功績ではない些細な出来事によって、たまたま相手が感謝をしてくれるような結果に至ったという偶然は、時に積極的に為した善よりも、人生に向かう気力を与えてくれるなとおもった。」とか書いてあった。 昔の人はいいこと言うし、昔の自分も、まあそこまでは悪くはないかも。