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2023/02/13


2023/02/13
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日記


今日はオンラインでのアルバイトのミーティングがあり比較的早起きだったのだけれど、別に早寝ができていたわけではないので昼に数時間寝てしまった。

昼寝ののち、プライムビデオで『殺人者』(1946)を観た。監督はロバート・シオドマク。こちらは観てないけど『幻の女』の映画版とか撮っている人らしい。 序盤の殺しのシーンが特によかった。犯行が行なわれるシーンの間とか被害者が銃で撃たれるシーンで被害者の死が崩れ落ちる手で表現されるところがよかった(被害者の死の間接的な因果を手にまつわる出来事だと考えることができるシナリオになっているなとおもったし)。 フィルム・ノワール観るぞ〜とおもって選んだ映画なんだけど(なのでまだフィルム・ノワールのことはぜんぜんしらない)、本作のファム・ファタール的な立ち位置の登場人物の造形があまりにも単純な悪女という感じで、これからいろいろ観ていくなかでもうちょっとさまざまなものを観たいなともおもった。

何かのハードルを下げようという目的を持って——その目的自体はよいとおもうけれど——結果単に振舞いの程度が低くなり、その振舞いが暴力的なものになっていく(あるいは外部にそう指摘されている)現象を観測することがあって、これはどうすればよいのだろう。こういったものと距離を取りながら、より多くの人に参加してもらえるコミュニティを(別にあらゆるコミュニティにおいてそれを目的にする必要はないとおもうけど、少なくとも敷居を下げたいというときの一番のモチベーションはそこだとおもう)つくり運営していくにはどうすればよいんだろうか。わたしもそのような振舞いをしてしまっている時があるような気がするし、同好会的な団体にも所属しており運営にも若干関わっているので、このことについて真剣に考えたほうがよいだろう。ひとまずこういったことに意識的になって、ハードルを下げる上でどこまで下げてもよいのかを自分のなかではっきりさせておくというのが、とるべき最初の一歩なのだとおもう。それだけじゃどうにもならないことも多いんだろうけど、でもこれがはっきりしていないと無限後退が待っているだけではないだろうか。こういった問題は場や団体の雰囲気によるところが一番大きいとおもうが、雰囲気というものはかなり気を配らないとコントロールするのが難しく、もちろんすべてをコントロールすべきではないが、一線を越えていると感じることがあるなら、それに疑問を呈したり問題点を指摘できるようにはしておくべきだろう。

(追記: 程度が低い、という表現はあとから読んで説明不足で、かつあまりよい言語化ではないと思ったのでどういう状態を意図したのか追記すると、これはそのグループの果たすべき目的の一部を損なうような状態だったり、あるいはそもそも一般的によくない状態になることを指していた。たとえば、関係する人へのリスペクトに欠けることが多いとか、もっとひどい場合なら攻撃的で外部から人が来ず、既存の参加者も心理的苦痛を感じることがあるとか、そういったことだ。)